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    ザ・藤川家族カンパニー3 漂流のうた

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キューピー3分クッキング

ナイト・コール(後編)

ナイト・コール(後編)

5 砧兵悟

 十五、十七、十八、二十歳とクサレ縁のやつらがチチオヤになるのを見てきた。
 三十を過ぎて自分の番が来た。冬には子供が生まれる。
 正直、全然実感がわかない。

 電話をしてきていいかと訊くと、ゼイゼイ言っていた麻美が布団から手を出して振った。
『ここにいたって、役に立たないでしょ』と言うのだ。
 まあ、そりゃな。つわりは代わってはやれない。
 だからといって、奥さんそっちのけでゲームしてたりする方がいいのか? 砧兵悟はそんなことを思いながら部屋を出た。携帯電話のメモリを呼びだす。
「おう、新田? 今いいか」
『ちょっと待って下さい。サナ、テレビの音を下げて――』
  小学一年生の娘に言うのが聞こえた。二十代半ばで、七歳になる娘。十八で出来た子供なのだから、当然ではある。
 最近、親子連れや父親の年齢ばかりが気になって仕方がない。ささいなこともだ。
 今も時計を見て、十二時だぞと思った。
「まだ寝かせてないのか?」
『明日は日曜ですからね。こないだ賭けをして負けたんですよ。だから今日だけ特別』
「おまえな。ムスメと賭けなんかするなよ。いや、あの、すまん」
 口出しすべきではないと謝った。気にしたふうもなく、善美が答える。
『兵悟さんは、死ぬほど口うるさい親父になりそうですね。子供、女の子だったら大変ですよ』
「うるせえよ」
 考えないようにしているのに、と顔をしかめた。性別もわからないうちから、あんたバカじゃない? と麻美は言うが、自分ではどうしようもないのだ。
『それで、どうしました兵悟さん?』
「ああ、くれるって言ってたアカンボ用品、いつ取りにいきゃいいかと思って」
 ベビーバスやベッドなどだ。あっという間に使わなくなるが、なければ困る、らしい(と麻美が主張した)。
 ともあれ、譲ってくれるのはありがたい。
『いつでもかまいませんよ。昼間、仕事のついでに寄ってくれても大丈夫です』
「だったら、二、三日中に行くわ。つうか、まだいいだろって気もするんだけどな」
 発射五秒前でいいだろうと言うと、麻美に枕を投げつけられた。早くに揃えたいというなら、仕方がない。
『うちは助かります。けっこう場所取りだったんで』
「よく捨てなかったな」
『ええまあ。なんとなく、取り紛れて』
 善美のデキ婚が、初めから破綻していたのは知っている。捨てられなかったのだろうと兵悟は察し、黙っていた。
『そういえば、みさおちゃん、メイのところに遊びに行ったんですって?』
「ああ、藍田と一緒にな」
 兵悟の所にも、気遣いの花音から「おみやげは何がいいか」とメールが来たばかりだ。
『ニューヨークだなんて、うらまやしい。金があれば、僕も便乗しましたよ』
「金ならあるだろ。高給とってるんじゃないのか?」
 善美は高名な書家である実母のもとで働いている。
『ああそれ、辞めました』
「はあっ?」
 さらっと言われて、兵悟は耳を疑った。就職して、まだ三月ほどだ。
『やっぱり、あのババアとは心底そりがあわないんですよ。もうアシスタントなら、一番上の姉がしてますしね』
「だっつったって、おまえ。姉さんの苦手な方面をサポートするんじゃなかったのか?」
『姉が苦労すりゃいいんです』
 ぴしゃりと言った。内輪もめに口を挟むとロクなことがないから、兵悟はコメントはせずにおく。
「じゃあ、今おまえ、仕事は?」
『探してますよ。サナがいますからね』
 うまくいっていない口ぶりだった。このご時世では無理もない。
「ジジイんとこ、戻るのか?」
 紀井津慈吾朗の名を出した。いまでも彼は、探偵事務所を開いている。
『それは最終手段です。ってことで、なんか良さそうな話があったら、口きいてもらえませんか』
「俺のダチ関係でかまわなけりゃ、きいてみるけどよ」
『お願いします』
 口調はきっぱりしていた。職種は問わないようだ。
「おまえ、すがすがしくいさぎいいな」
『一人じゃないですからね』
「そういう割りには、短気だろうが」
『ふ――。言わないで下さい』
 重いため息が返ってきた。後悔ゼロではないらしい。
「つっても、変なのな」
 兵悟は中指で顔を掻いた。タバコを吸う手つきが抜けず、つい口元に手をやってしまう。
『何がです?』
「何っつうか、カゾク養うとかさ」
 うまく言葉に出来ずに濁した。仕事とか、家庭とか、冗談だと思っていた頃もあったのに。
『ですよね。気がつくとコレ、ってカンジで』
「だな。あっちゅーまに、俺らジジイだぞ」
『娘がカレシ連れてきたら、泣きますよ』
「そりゃ、おまえの方が先にな」
 覚悟は出来てます、と悲愴な声が答えた。そんな声で、どこが覚悟だろうか。
「どっか呑みに行くか、新田、久しぶりに」
『ツブれてもよければ』
 物騒な返事が来た。相当ストレスがたまっていそうだ。
「こっちまで出てきてくれるならな」
 知り合いの店なら最悪、奥に蹴り込んでしまえる。
 来週、ベビー用品を取りに行きがてら、善美を拾うことで話がまとまる。兵悟の家まで戻ってきて、それから出かけるのだ。
 携帯電話を切って、兵悟は肩をすくめた。呑みに行くですって、と眉を吊り上げる麻美が目に見えるようだ。
 側にいなくていいというくせに、本当にいなければ、むくれる。どうしろっていうんだ?
 女なんてものは、永遠に謎だ。
 まあいい。兵悟は携帯電話をジーンズの尻ポケットにねじ込んだ。
 別れぎわ、善美の声が幾分明るくなった。そういうのも大事だ。奥さんもだけどな。
 兵悟はそんなふうに思い、邪魔な前髪を掻き上げた。

6 新田善美

 何かに悩んでる、迷ってる。回り道をしてる。
 誰かの歌でも、話でも、耳にすると、自分だけじゃないんだとほっとする。

『おーう、わしじゃ。どうした、善美ちゃん』
 懐かしい声を聞いて、新田善美は泣きそうになった。この数カ月、頼るまい、連絡を取るまいと意地を張ってきたことに後悔する。
 もっと早くに、この声を聞いていればよかった。そうすれば、こんなふうに気が緩んで醜態をさらさずにすんだだろうから。
「所長……。いま、どこですか」
『わしか? 家じゃよ。珍しく、あの口うるさい菅原も、すみれちんも出かけとる』
 すみれちんというのは、ロシア語で「すみれ」の名をもつ、フィアルカ・ハーノフのことだろう。慈吾朗の亡き妻がロシア人亡命画家との間に遺した、「血のつながらない」娘だ。
 複雑な事情から肉親すべてを失ったフィアルカと、慈吾朗は同居を決めた。わだかまりが消えたわけではないが、同じ女性を喪くした者同士として。
「もう、ドイツには……?」
『行ったよ。たま子ちんは、軽井沢に眠っとる』
 慈吾朗の声がうるむ。母親とともに誘拐された先で病死した一人娘の遺骨を、ようやく拾うことができたのだ。
「お疲れさまでした。……よかったですね」
 ほかに言葉が見つからずに、そう言った。かすかにうなずく気配が伝わる。
『そいで。おぬしはどうしたんじゃ。兵悟ちゃんから仕事紹介されたっちゅう聞いたが』
 胸を詰まらせる沈黙の後、慈吾朗が訊いた。相手が切り出してくれてよかったと思いながら、善美は答える。
「駄目でした」
『ほーか」
「兵悟さんには、せっかく口をきいてもらったんですが」
『んなこと、気にしてもしょうがないじゃろ。駄目じゃったちゅうことは、そことは縁がなかったんじゃよ』
「そうですよね」
 幾度も、そう考えて納得しようとした。けれど、心のどこかで割り切れないものがある。
「やる気さえあれば、雇ってもらえる」と兵悟は言っていたのに。それでも決まらないなんて、そんなに人よりも劣っているのだろうか。
 ちがう、という慰めはあちこちで聞いた。自分でも、きちんとわかっているつもりだ。でもだからといって、すべてを否定されたような気持ちは消すことが出来ない。
「所長。今日はお願いがあって電話しました。また、所長のところで働かせてもらえませんか」
 言葉に切られ、身体が熱くなる。なんてぶざまな頼みだろう。お情けにすがるしか、仕事を得る道がないなんて。
 紀井津慈吾朗探偵事務所は、規模を縮小した。ひまつぶし程度の活動しかしていないので、電話番も事務員も必要ない。
 なのに、こう言うしかないのだ。慈吾朗に無駄金を使わせると思いながらも。
「ずっとおいてくれとは言いません。長くはご迷惑かけないと思いますから」
『ぶっちゃけ、次の仕事が決まるまでじゃな?』
「――はい」
 善美はうなだれた。もともと、貯金が出来るような余裕はなかった。小学校に入ったサナが、急にいろいろ入り用になったりもして、すぐにでも働き始めないと暮らして行けなくなってしまう。
「すいません。僕が馬鹿だったんです。考えなしに、前の職場を飛び出したりしたから」
『おぬしとあのママさんじゃ、無理もないじゃろ』
「そうですけど」
 初めから承知でもあった。善美は実母と反りが合わないのを覚悟の上で、母親の下で働くことを決めたのだから。
『血縁てのは、ややこしいもんじゃて』
 なだめるように言われ、苦笑したくなる。意見が食い違い、冷静になれず言い争いが加速して、戻れないところまで進んでしまった。
「せっかく、サナのためによかれと始めたのに。もっと一緒にいて、寂しい思いをさせないようにって」
 三月も経たずに退職し、次のめどもついていない状況では何もしてやれない。
『おぬしは、頑張っとるよ』
 言葉がしみて、涙がにじんだ。けれど善美は首を振る。
「頑張れてたら、途中で放り出したりしません。今回みたいなお願いをしたり」
『そうかの。わしゃ、逆じゃと思っちゅう。頑張っとるからこそ、あっちこっちに頭下げたりするんじゃ。不景気の責任にすることじゃって出来るぞ?』
「サナがいますから。そんなこと言ってられないんです」
『言うやつは、きっといっぱいおるよ。とくに、おぬしの実家のように裕福ならの』
 実家は、息子と孫娘くらい、問題なく養っていける。
『おぬしは、自分の腕で稼ごうとしている。それのどこが頑張ってないんじゃ? コネ使うのんの、どこが悪い? 言っとくがの、わしゃ無駄飯食らいに給料払う気はないからの。出したぶんは、きっちり使ちゃる』
「知ってます」と善美は笑った。イエローテール時代、身をもって感じている。
『ところでの、善美ちゃん。おぬし、わしの家の管理人になる気はないかの? 三年くらい』
「は?」
『しばらく、パリに行くつもりなんじゃよ。すみれちんの仕事を見ておこうかと思っての。一緒に来ないかっちゅう、誘われとるし』
 フィアルカは父の絵の管理をしており、その活動の拠点はヨーロッパだ。
「所長は、迷わないんですね」
 心の整理をつけ、歩きだしている。それがひどく羨ましかった。
『迷っとるよ。じゃから、進むんじゃ。立ち止まって、凍りつかんように』
 善美は目を瞠った。慈吾朗が迷ってる?
『時々、どこへ行けばいいのか訊きたくなる。ナンもかんも、終わった気がしての』
 慈吾朗の胸には、大きな穴があいているのだ。気がかりは解消した。けれど――。
『三年あれば、いろいろ決められるじゃろ』
 仕事を探す、資格を取る。金銭の心配をせずに。
「いいんですか、所長」
『じゃから、コキ使うっちゅうとるじゃろ』
「かまいません。家中、ピカピカにします」
『ちゅうことで、明日は十時からじゃ。おいぼれのためとった仕事が、たんまりあるからの――』
 信じられない気持ちで、善美は電話を切った。こんなに簡単に、ことが運んでいいのだろうか。
「頑張ってるごほうび」と声に出して恥ずかしくなる。そこまで偉くない。世の中には、もっと努力している人が大勢いる。
 きっと自分は幸運なのだ。手を差しのべてくれる友人がいて、大切な人がいる。
「パパ?」
 ふすまが開いて、パジャマ姿のサナが目をこすりながらでてきた。両耳の脇に垂らした三つ編みが片方取れかかっている。
 ほどいて編み直し、ゴムで止める。話し声で目が醒め、起きてきただけのようだ。目が半分ふさがりかけている。
「どうしたの」と訊かれ、善美は微笑んだ。何でもない。大丈夫、ちゃんと守ってあげるから。
 胸の奥が温かくなる。善美は噛みしめるような気持ちで、娘の手を握った。
「起こしちゃってごめんね。ほら、おトイレ行ってから寝なさい」

7 紀井津慈吾朗

 人生と引き換えにしてもいい。
 それくらい、望んだことがあった。
 異国の地で、生き別れとなった妻子の行方を知りたい。あの日から、ずっとそれだけを願ってきた。
 眠れぬ夜を越え、まとわりつく苦しい思いを抜けて願いが叶った今。
 道に迷った子供のように立ち尽くすなんて、思ってもいなかった――。

『ふざけんなじじい! おまえ何考えて、王宮経由で電話してくんだトウヘンボク!』
 電話口からあふれ出した天野行衡の予想通りの罵声に、紀井津慈吾朗は安堵を覚えた。
 あれから三ヶ月。彼らは別々の道を進み始めた。けれど声を聞けば一瞬で、仲間だった頃に戻れる。
「何って、そりゃーロクちゃん。おぬしを掴まえるために決まっとろ? この時間にケータイにかけても、出やせんじゃろうが」
『勤務中にケータイ鳴らしたヤツは、クビになるんだっつの! てゆうか、まずジャンに、熱っついフライパンで頭殴られるわ』
 ジャンというのは、行衡のボスだ。プライベートでは気のいいデブだが、仕事中は暗黒大魔王よりも恐ろしい。
『で、何だよじじい。悪いけど、俺そんなに時間ないぞ? 込み入った話なら、十二時間後にかけ直してくんね?』
「おぬし……。わしが午前中に起きられると思うか?」
 わざと呆れたような声を出すと、行衡がわめいた。
『おまえは五月かっっ。一日くらい起きろ!』
「ほー?」
 すっとぼけてからかう、そのやり取りが懐かしい。
 あの日々が、慈吾朗の脳裏できらきらと甦る。まぶしくて、胸が痛い。
 本当は誰よりも、自分がメンバーに支えられていたのではないかと思う。わがままで強引なジイさんとして振る舞い、それが許された。
 あまつさえ、ボスとして頼りにしてもらえた。どれだけ大きな意味があったか、今になってわかる。
 今の慈吾朗は抜け殻だ。追いかけてきたものもメンバーも、みな、彼の元からはばたいていった。
「……わしゃー、パリに引っ越すんじゃ」
 胸の内の動揺を漏らすまいと、慈吾朗はつとめて声を作った。
 希望にあふれた未来へと進む年下の友人に、自分の虚しさを背負わせてはならない。
『へ? マジで、いつ?』
「今月中かの。荷造りを善美ちゃんに手伝ってもらっとるんじゃが、それが終わり次第発つつもりじゃ」
『ふうん。つか、何でパリなんだ?』
「すみれちんの仕事の関係での」
 すみれ。フィアルカ・ハーノフの名を口にすると、いまだに心が疼く。彼女は亡き妻の忘れ形見なのだ。ただし父親は、慈吾朗ではない。
 わだかまりは、きっと永遠に消えない。おそらくフィアルカの方も。それでも二人は、華子という大切な女性を亡くした者同士、手を取り合おうと決めたのだ。
『なあ、じじい。フィアルカさんとうまくやれてんのか?』
 行衡は鋭い。慈吾朗は声を明るくした。
「そら、トーゼンじゃ」
『ならいいけどさ』
 行衡はそこで言葉を切った。心配そうな口ぶりになる。
『あんま、無理すんなよな』
 見透かされたようで、どきりとした。それで、つい訊いてしまう。
「おぬし、なぜそう思う」
『だって、フツー燃え尽きるだろ。奥さんのことわかって、たま子ちゃん取り戻して、事務所解散したらさ』
 頭ん中、真っ白になるって、と行衡の声が響く。その通りだった。真っ白。
 何も残っていない。
 慈吾朗は沈黙した。うまくごまかすことが出来ない。スカスカなのだ。風が身体の中を吹き抜けてゆく。
「わしゃー、どうすればいいんじゃろうな」
 知らずつぶやいていた。弱さなど見せまいと思っていたのに。
『パリに行くんで、いんじゃねえの?』
 あっけらかんとした答えが返ってきた。
『おいしいモン食ってさ、うまい酒呑んで。
で、フィアルカさんの邪魔してゴロゴロすんだよ』
「ロクちゃん、あのなあ」
『だって、ボーナスみたいなもんだろ? じじい、ずっと突っ走って来たからさ。休めってことだって』
 そうなのだろうか、と慈吾朗は自問していた。自分は迷うから進むのだと、彼は善美に言った。だが、パリへと――逃げるのは、一息つきたいから……?
 そう――かもしれない。
「それで、ええんだと思うかのロクちゃん」
 背中を押してもらいたくて訊いた。行衡は戸惑っているようだ。頼られ慣れず、頭をがりがり掻いているらしい。
『たぶんな。好きなだけぐうたらして来いよ』
「ほいじゃ、そうするかのう――」
 心にかかっていた霧が、晴れてゆくのがわかる。止まって休む。悪いことじゃない。そんな簡単なことすら、見えなくなっていた。
『どうでもいいけど、こっちには来んなよ。俺りゃあ、忙しいんだかんな? おまえの相手してる暇なんか、ねえからなっ』
 照れ隠しのように言った行衡に、慈吾朗は「ぐふっ」と笑ってやった。嫌がらせだ。
 恐慌状態に陥る彼を残し、電話を切る。
 ――パリへ着いたら、海岸へ出かけよう。身体を、裏も表もまんべんなく焼いて、じめついた気持ちを追い出そう。
 飽きたら、何か始めればいい。たとえば探偵を。フランス人の大半は呆れるかも知れないが、ある日、変わり者が一人、ひょっこりと依頼に訪れるかも知れない。
 その日まで、ゆっくり羽を伸ばそう。フィアルカの隣で。彼女にだだなどこねてみたりしながら。
 フィアルカも、かき回されるのを望んでいるのだと思った。一人になりたくもないのだ。だから慈吾朗を誘った。
 家族になろうとか、大それたことを考えているわけではない。ただ一時、互いの傷が癒えるまでの関係に終わるかも知れない。
 それでいいのだ。時は流れ、人は出会いと別れを繰り返す。
 走ったり、休んだりしながら。
 子供の頃、大人は悩まないものだと思っていた。もっとずっと偉いと思っていた。
 そうではないのだと、こんなジイさんになってから気づく。年をとっても、躓いてばかりだ。
 違いと言えば、幾つもの視点で物事を見られるようになったこと。せいぜいそのくらいで。
「思い遣り、ちゅうことじゃったら、わしよりロクちゃんの方が、ずーっとオトナなんじゃろうなあ」
 ひとりごとを言って、つい耳を澄ませた。菅原あたりが「そうですともっ」と言うのではないかと思ったのだ。
 だが、部屋には彼一人だった。真夜中。むしむしとした日本の夜。
 バルコニーに出て空を仰ぐと、遠く、にぶい光がぽつんと見えた。
 頼りない星。それが今の自分を象徴しているような気がして、けれど逆に愛しかった。
「ま、ええじゃろ。特別休暇じゃ」
 のう、と星に同意を求め、慈吾朗はいつまでも飽きずに空を眺め続けた――。(END)

本日も晴天なり?

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  • 新釈 グリム童話
  • NDY企画 任侠事件簿
    今日から「姐」と言われても/今日から「夫」と言われても

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  • 夜来香恋結店
  • 東京S黄尾探偵団 夏休みだヨ、全員集合!
    (コバルト文庫「書き下ろしアンソロジー① 龍と指輪と探偵団」に収録)
  • 薔薇の純情
    背徳の黒き貴公子
  • 鳥籠の王女と教育係シリーズ(全12冊)
    婚約者からの贈りもの/魔王の花嫁/永遠の恋人/姫将軍の求婚者/さよなら魔法使い/嵐を呼ぶ王子/恵みの環の魔王/魔法使いの選択/〈国守り〉の娘/夢で逢えたら/魔王の遺産/恵みの環の花嫁
  • 今夜きみを奪いに参上!シリーズ(4冊)
    紅(あか)の宝玉/忘れられた楽園/翼のない王/千人王の恋人
  • ダナーク魔法村はしあわせ日和シリーズ
    都から来た警察署長/ひみつの魔女集会/ドラゴンが出たぞ!/いとしのマリエラ/ただしい幻獣の飼い方
  • ガイユの書シリーズ(全4冊)
    薔薇の灰に祈りを/薔薇の灰に恋(こ)がれ/薔薇の灰は雪に/薔薇の灰は闇に
  • 東京S黄尾探偵団シリーズ(全28冊)
    少女たちは十字架を背負う/ 青の封印/ Kの処刑場/五月、拉致られる/さらば愛しき女(ひと)よ/羊たちの祭壇/竹林(ちくりん)温泉殺人事件/時計台の首縊り(くびくくり)の鐘/魔都に鳴く龍/ 君にささげる花束/ Sの葬列/俺たちは天使じゃない/ローマの厄日(やくじつ)/宝島へようこそ/シンギング・バード/奥様は魔女!?(マンガ版)/保健室とマシンガンv/ 嵐の歌を聴け/その女、凶暴につき/八月の雨/Uの烙印/もっとも危険なゲーム/バカップルがいっぱい/雨の海に眠れ/S黄尾、解散!?/ 史上最大の作戦(前編・後編)/奥様は魔女!? リターンズ
  • 振り返れば先生(ヤツ)がいるシリーズ(全2冊)
    振り返れば先生がいる/振り返れば先生がいる2ndシーズン
  • 王子様にキスを
  • 人は影のみた夢シリーズ(全4冊)
    人は影のみた夢①~④
  • 華(はな)は藤夜叉シリーズ(全2冊)
    華は藤夜叉/PURE GOLD
  • アル-ナグクルーンの刻印シリーズ(5冊)
    クィンティーザの隻翼(かたはね)/エズモーゼの左手/星は踊る/ 月を狩る森/砕けた紋章
  • この雪に願えるならば
  • 雨の音洲(あめのおとしま)秘聞シリーズ(全3冊)
    闇燈籠(やみどうろう)心中 桜の章、吹雪の章/ 朧月鬼夜(おぼろづきよ)抄
  • 月虹(げっこう)のラーナ
  • 羽硝子(ハネガラス)の森
  • 睡蓮の記憶
  • カウス=ルー大陸史・空の牙シリーズ(全17冊)
    誘いの刻(とき)/太陽のエセラ/ 祭りの灯(ひ)/嵐が姫《幽幻(ゆうげん)篇》《風雷篇》/忘我の焔/今日命(きょうめい)の螺旋/かさねの鉢植/女神の輪郭(前編・後編)/影朧(かげろう)の庭/聖女の卵/夢眩(むげん)の鏡/華烙(からく)の群れ/蘭の血脈《天青(てんじょう)篇》《地猩(ちじょう)篇》《紫浄(しじょう)篇》

ビーズログ文庫既刊

  • 少年ユヅルの優雅で怠惰な王国
  • 神抱く凪の姫シリーズ(全3冊)
    キレ神様、お目覚めにございます/耐えてください、キレ神様/誓いの刻です、キレ神様
  • 姫さま、恋愛禁止です!シリーズ(全2冊)
    花婿はお馬の王子/旦那さまと呪いのウサ耳
  • 女神の娘の恋歌(こいうた)シリーズ(全3冊)
    暁は伯爵、黄昏は魔王/光の乙女、闇の聖女/一瞬の光、永遠の輝き

幻狼ファンタジアノベルス既刊

  • 半魂香―まどろみの巫女と〈守護者〉―〈上〉〈下〉