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キューピー3分クッキング

ナイト・コール(前編)

ナイト・コール(前編)

1 天野行衡

 料理が得意。だからなんだ、と厨房で思い知らされた。ごはんと料理は違う。素人とプロは違う。
 言葉を覚えるため、ラジオを聴きながら眠るせいで、しょっちゅうおかしな夢を見る。
 かまっているヒマなんてないから、頭はボウズにした。日本から持っていった服は、全部着られなくなった。胸回りがパツパツのTシャツ。ぶかぶかになったジーンズのウエスト。
 顔つきも、多分変わった。窓ガラスに映る自分の、目つきが鋭い。
 まだ高校を卒業して3ヶ月だなんて、信じられない。振り返ると、あの日々と日本がキラキラと遠い。
 天野行衡。21歳の初夏――。

 ポケットに忍ばせた携帯電話を取り出し、切りっぱなしの電源をそっと入れる。立ち上がった画面には、何10通もの着信メールの通知。
 読むのは後回しにして、電話をかけた。海外ローミングは、国内通話よりも少しだけつながるのに時間がかかる。それすらもどかしくて、目を閉じた。早く早く早く。ケータイを耳に押しあて、おなじみのRRR音を待つ。
『もしもし?』
 2コールで、相手が出た。少しひそめた声。涙が出そうになる。
「花音? 俺」
『うん』
 知ってる。そんな風な口調。3週間ぶりの懐かしいそっけなさに、それだけで胸が詰まる
 言葉を継げないでいると、ざわめきが聞こえた。笑いながら、だれかが通りすぎてゆく。
「今、外?」
『そう、大学』
 スティラニの午前0時は日本の午前11時だ。大学1年生は、びっちり授業がある。
「ごめんな。教室で、電話鳴ったのか?」
『ううん、外にいたから。たぶんかかってくるって思って』
「……すげえ」
 相変わらず、超人的なカンをしている。そう思って、ちょっと笑った。再び言葉が途切れる。
「あのさ」
『あのね』
 沈黙を嫌って急ぐと、今度は声が重なった。
何だかお互い噛み合わない。少しだけ気まずく、先を譲った。
「何? いいよ言って」
『うん。あのね、あたしね』
 ためらいを聞き取り、瞬間的に悪い想像が駆けめぐる。日本をあとにして2ヶ月、自分は地球の裏側にいる。
「――うん」
『夏休み。……そっち行こうかって思って』
「へっ?」
 我ながら間抜けな声が出た。行く、つうか、来る?
『だからスティラニ。――一週間くらい』
「って――」
『一人で』
 俺に会いにだ。訊かなくてもわかる。行衡は帰れない。だから花音が来る。
「嬉しいけど……」
 そのぶん失望も大きくて、声が暗くなった。来てもらっても、会うことは出来ない。そのための時間はない。
 時間をやりくりしようにも、そのための自由がなかった。朝起きたらシャワーを浴び、眠い目をこすって厨房を開ける。シフトってどこの国の言葉だ、と訊きたくなるほど働いて、真夜中、一番最後に鍵を閉めて出る。
 寮に戻りながら、その日に覚えたことを書き留める。相部屋にこそこそ潜り込み――時々閉めだされ――、ヘッドホンをかぶって倒れるように眠る。
 4時間後、次の日が始まる。
 バカみたいに前時代的だが、それがボスのやり方だった。俺は甘くないとジャンは言った。その通りだった。
『わかってる。でも、瑞穂ちゃんもおいでって言ってるし』
 スティラニの皇太子妃は、旧友だ。
「城に泊まんのか?」
『そうすれば、一瞬でも六月見れるかもしれないし』
 と瑞穂が誘ったのだろう。
『瑞穂ちゃんが、呼び出すって言ってる』
「ばか。ジャンはそんな命令きかねえぞ」
『って、あたしも思う』
 花音の声が苦笑した。行衡は訊いた。
「それでも、来るっていうのか」
『うん。だめもと』
「あのなあ」
 呆れた声はわざとだ。そう言わないと、泣けてくる。思いが募る。
「会いてえなぁ」
 つい、本音がこぼれた。
 抱きしめたい。それ以上のこともしたいが、その前に花音をたしかめたい。
 ただ、たしかめたい。
『だから、行くってば』
 涙声が、花音に移った。同じような泣き笑いの顔をしているに違いない。
「なあ。来いって、言えねえぞ、俺」
 会えない。その可能性のほうが多い。
『だいじょぶ。頼まれなくても行くから』
 変わらない憎まれ口にほっとした。だから、久しぶりの台詞を口にする。
「かわいいカッコして来いよ」
『それはどうだかわからない』
 お決まりの答え。二人して笑って、じゃあと電話を切る。
 静けさがよみがえると、ふと胸が痛んだ。日本までの距離を思う。超、遙か彼方。
 ――正直、いつまで続くかわからない。
 大丈夫だよな、と、自分に問う。大丈夫だ、と思いたい。来てくれると言った。会えなくてもいいと。
 それで充分と思おう。思うしかない。そういう道を、行衡は選んだ。
 異国の地で、料理人になる。
 出来ることをする。それしかない。だから今日も、ベストを尽くす。
 夜が明けようとしている。戦いが始まる。
 行衡は携帯電話をポケットに突っ込んだ。深呼吸し、夜露にぬれた厨房への道を歩き始める。

2 藍田花音

 午前零時を十分回って、藍田花音は携帯電話を発信した。
 呼び出し音を聞きながら後悔する。しまった、電話してもいいかを先にメールすれば良かった。
「もしもし?」
 相手の声はくぐもって聞こえ、花音は怯んだ。寝たところを起こしてしまったのかも。
「ごめん。さおちゃん起きてた?」
「起きてたから出たに決まってんじゃん」
 如月みさおの変わらない笑い声に花音はほっとする。遠くなってしまったかも。そんな風に思って怖かった。もう一月半、みさおと会っていない。電話は三週間ぶり。メールだと一週間。もともと用もなく連絡を取り合う関係じゃなかったけれど、今までは毎日のように会っていた。
「どうしたの? 元気なくない?」
「ないよ」
 本心を答えると、電話の向こうの声ががらりと変わった。
「何? 誰かに何かされたの?」
「違うよ、安心して」
 はりつめた声に不謹慎だと思いながら嬉しくなる。前と同じ。そう感じられるものを、今の自分は探しているから。
「じゃあ何で元気ないの? 大学楽しくない?」
「ううん」
 意外にも楽しい。それは自分でも驚きだった。中学の時のような嫌なことなんて一つも起こらず、あんなに心配だった友達もあっさり出来た。
 当たり前みたいにサークルに勧誘され、クラスの子と一緒に入って、おまけに大学の近くのファミレスでアルバイトまでしている。
 まるで、絵に描いたみたいな学生生活だ。ずっとしたかった「普通」のこと。
 話したいのは、そのことじゃない。
「あたしさ、さおちゃん」
「うん」
「留年しちゃったかも」
「はあ!?」
 みさおの声がはね上がった。何言ってんのこの子、みたいな沈黙が生まれる。
「どういう意味それ。えっと、単位だっけ? そういうの落としたの?」
「落としたって言うか。……試験受けなかったから」
「イミわかんない。さぼったってこと? それってヤバくない?」
「ヤバいから、来年またどうぞなんじゃない」
「――」
 みさおが絶句した。それはそうだ。自分たちはシステム的に大学と似たところのある高校を卒業した。試験の大切さは、身にしみてよくわかっている。
「何でサボったわけ」
「六月の電話、とりたかったから」
「電話取りたいとなんで――もしかして時差?」
「うん」
 六月こと天野行衡はヨーロッパにいる。厨房でしごきにしごかれ、シェフになろうとしている。
「むこう、夜しかかけてこられないし。それってこっちの昼間だし。いつかけてくれるかわかんないし……」
「それで待ってて試験逃したっていうの?」
「バカって言っていいよ、さおちゃん」
  みさおのため息が聞こえた。
「バカっていうかさぁ。なんか花音ちゃんらしくなくない?」
「自覚あって自分でも情けないよ」
  携帯電話の着信音に耳を澄ませて一日が終わる。鳴らない電話に振り回されている。
「ねえ」とみさおの声が力を帯びた。
「ホントはなにがあったわけ? ロクガツの声聞かなくちゃならないようなことなんでしょ?」
 図星に虚を突かれた。こう言うことに関しては、みさおはするどい。
「――大学の先輩が」
「告られたわけ?」
 言ってもらって助かった。その通りだ。
「返事待つって言われた」
「ほっとけば?」
「うん。悪いけどそのつもりだけど」
「不安なわけね」
 そう、そうだ。ヨーロッパ、スティラニはあまりにも遠い。
 生活も遠い。絵に描いたような大学生と絵に描いたようなシェフ修行。
 一日ごとに離れていく気がする。一歩ずつ、一歩ずつ、一歩ずつ。
「次に会ったとき、六月が全然知らない人になってたらどうしよう」
「なるわけないじゃん」
「だってそう思えないんだもん。時間の流れるの、すごく早くて。新しいこといっぱい起こって。なんかもう、挫けそうだよさおちゃん――」
 自分の声が悲痛に響いた。少し長めに黙っていたみさおがぽつんと言った。
「切ないね」
 言葉がしみて、ただうなずいた。
 こんなに誰かを恋しく思うなんて。
「ねえ花音ちゃん、これからそっち行っていい?」
 思いがけない言葉に花音は目を丸くした。
「今から? いいけど電車が」
 ちょうど終わってしまった頃だ。
「ていうか車だし。買ったし」
 みさおには免許もある。
 久しぶりで気持ちが弾んだ。口元がほころぶ。
「さおちゃん、あたし愚痴るよ?」
 口元をほころばせながら言うと、笑い声が返った。
「愚痴れば? っていうか、あんたが愚痴らないの聞いたことない」
 んじゃ、ちょっと待っててと電話が切れる。車なら三十分かからない距離だ。着替えないと。
 花音は慌ただしくパジャマを脱ぎながら考える。みさおに会ったらあの話をしよう。スティラニに行こうと思っていること。
 気持ちを確かめ、もう少し頑張ってみようかと思っていること。
 ふと、行衡の声が甦った。会いてえなぁ。
 消えてゆく声をとどめたくて、花音は耳を澄ました。うん、と微笑んだ。
「あたしもだよ六月。だから会いに行くから」
 つぶやいて、花音はカットソーをいきおいよくかぶった。

3 如月みさお

 テレビのコマーシャルで見て、へえ、これいいじゃんと言ったら、その車が納車された。
 雑誌のバッグ特集、端っこをちょっと折っておいたら、商品をぽんと渡された。
 たぶん、ねだっても同じ。何でも買ってくれる。どんなに高くても。でもそれは愛じゃない。
 だったら、あれがなんなのか誰か教えてほしい。

 ちょっと前まで、海外に電話するのは面倒くさかった。コレクトコールがどうとか、国の番号がどうとか。
 でも今は携帯電話が直接繋がる。メールのやり取りも出来る。
「もしもし、ミサオ?」
 久しぶりの天野五月の声は雑踏の中から聞こえた。車のクラクション。それから外国語。
「メイ? あんた今どこ?」
 変わらない声に、如月みさおも変わらず訊いた。前置きはなし。誰にでもそう出来るわけじゃない。S黄尾の七人の中でもこれは五月にだけで、それが二人の距離なのだとみさおは思う。
「今? アメリカ」
「んなの知ってるって。つか、あんたさ。ガッコに戻るためにそっち行ったんじゃん」
 五月はアメリカの大学を卒業したくせに、どんな手を使ったのか日本の高校に入り直した変わり者だ。そして黄尾高卒業後、再び大学の修士課程に進むため、日本を離れた。
「ああそれ。ヤメた」
「はい?」
 あっさり言われてみさおは耳を疑う。やめた?
「やめたって、それ何よ」
「うーん。我に返った? よく考えれば、あれはオレのやりたいベンキョウじゃないなーって」
「はあ? いつ?」
「こっち戻って、わりとすぐ」
「あんたバカ?」
 呆れが思いきり声ににじんだ。
「出発前に気づこうよ、それ。つかさ、だったら何で、すぐ戻ってこないわけ?」
 訊ねると、電話の向こうが沈黙した。ややして、ふざけた声が返る。
「センチメンタル・ジャーニー」
  感傷旅行、というのだ。傷ついた心を癒すための旅。五月の本音だと思った。
「あんた、まだ割り切れてないわけ?」
 彼らのリーダーは、メンバーが卒業後、それぞれの道へ進むよう促した。探偵事務所は残っているが、彼らはもう、そこの所員でもアルバイトでもない。
「割り切れないよ。もしかしたら一生」
 五月は探偵団解散を、居場所を取り上げられたように受け取った。
「一度は納得して解散に同意したんじゃん」
「それはね。あれもオレの気持ちだけど、これもオレの気持ちだからさ」
 わかっていて、そのほうがいいと決めたのに、どこかで「違う」と振り返り続ける。
 矛盾する気持ちがせめぎ合うのだ。答えはすぐには出ない。あるいは永遠に。
 みさおは、静かな笑みを浮かべた。
「だよね」
 あたしも、今そう。口に出せずに思う。カホシンヤ。「カレシ」の名前を記号のように思い浮かべる。みさおに湯水のように金をつぎ込むヒト。やめてと言っても、耳を貸さないヒト――。
 電話口のざわめきが遠ざかり、鍵をがちゃがちゃやる音が聞こえた。
「ああ、家に帰ってきたの?」
「ウン。さっきコーヒー買いに出てて。でも、ここ人んち。オレ、居候」
「じゃ、悪いから切ろうか?」
「ウウン。誰もいないし。っていうより、秋まで帰ってこないから」
 家、取りかえたんだ、と五月はこともなげに言った。ふと知り合った旅行者が、自分の行ってみたい町の出身だったから。旅行者は五月の町を気に入り、じゃあお互い、三ヶ月、家を交換して住んでみよう、ということになったのだという。
「信じられない。危なくないワケ、そういうの」
「モノ盗まれるとかって意味なら、オレんち、何もないから平気」
「パソコンとかは?」
「処分した。持ってるノートPC以外はね」
「ずいぶん身軽じゃん」
「だってフラフラしたいもーん」
 あちこち、何かを見つけるまで。そういうのかも知れない。
「んで、その家、どこ?」
「ニューヨーク。借りといてナンだけど、オンボロ」
「って、居心地よく聞こえるんですけど」
「ウン。ユキヒラの部屋に似てる」
 きったないのだ、とわかってみさおは笑った。片づけ魔、などというくせに、あの男の自室は脱ぎっぱなしの服でいっぱいだった。
 懐かしさがこみ上げる。無性に、みんなに会いたい。
「てかさ、メイ。あたし、そっち行ってもいい?」
 そう訊くつもりで、かけた電話だった。三日でも、十日でもいいから日本を離れたい。
「いいけど、オマエ、寝るのソファだぞ」
「べつに、いいよそれで」
「じゃ、空港ついたら連絡プリーズ」
 気軽すぎる五月に、みさおは自分から言った。
「アンタ、理由訊かなくていいワケ?」
「いいワケ。だってミサオ、逃げてくるんだろ」
 言い当てられて、みさおは苦笑した。
「あたし、そんな声せっぱつまってる?」
「フフン。カノンにも言えてないんだろ?」
 五月は鋭い。みさおはうつむいた。
「言えてない。だって、あの子、ロクガツと遠距離なのに、大学の先輩にコクられたとかいう、かわいい話してるんだもん……」
 先日、会ったときに乗っていった車を、誰にもらったかも話せなかった。
「言ってやれよ。絶対気づいてるぞ、あいつ。トモダチだろ、オマエら」
「そうだけど」
「一言でいいって。カレシから逃げるために、メイんとこ行く、って。そういうコトだろ?」
「――そういうコトだよ」
「だろ? いいから、カノンには言えよ。メールでもいいから。言ったら、飛行機に乗れ。オレ、迎えに行くから」
「すがりつかせてくれるワケ?」
 ひねくれた訊き方をして、後悔する。けれど五月は穏やかだった。
「だってオレたち、家族だろ?」
「ごめん、不覚にも泣きたくなった」
 最大級の感謝に、五月が笑う。カノンには言えよ、と繰り返して電話は切れた。
 そうだね、とみさおは携帯電話を閉じる。きっと花音は気にしている。責められるのが怖かったけれど、でも考えてみれば、彼女は責めたりしない。
 けれど、同情にもみさおは耐えられない。だから、たぶんメールになる。それもニューヨークに着いてから。五月にうるさくせっつかれて。
今はうまく話せない。話せるように、嵐のなかから抜けだしたい――。
「いや、つかまず親でしょ。海外に行くんだし」
 みさおはジーンズの尻ポケットに携帯電話をねじこんだ。「ママ、あのさあ」と声を張り上げながら自宅の階段を駆けおりた。

4 天野五月

 このアパートにはエアコンがない。
 幾度も塗りかえたペンキのせいで開きにくい窓をむりやり押しあげると、ニューヨークの喧噪が生ぬるい風に乗って聞こえてくる。
 六階下の地上では、誰かが喧嘩しているらしい。きれぎれの罵声が聞こえる。
 天野五月は窓を背に床に座りこんだ。夕食だった持ち帰り中華料理の空き容器の入った紙袋を足で押しやりながら、懐かしい日本に電話をかけた。
「モシモシ、ヒョウゴ?」
『おう』と答えた砧兵悟は、すぐに携帯電話を覆ったようだった。ガサゴソと音が聞こえて沈黙がおりる。
『悪りい、今外出たからよ』
 通話口に戻ってきた兵悟が言った。タイミングを間違えたかと、五月は訊いてみる。
「もしかしてトリコミ中?」
『いや、俺じゃなく麻美がな』
 旧姓日名屋麻美は兵悟の妻だ。三月前、彼女に言わせれば「長すぎるどころじゃない」待機期間を経て、めでたく結婚した。兵悟が高校を卒業したらという約束をしていたのに、兵悟は三度も留年したのだから、その表現も無理はない。
『つわりって、めんどうくせえのな』
「ああ、らしいね」
 人によってはかなりつらいという知識は、五月にもある。
「大丈夫なの?」
『まあな。代わってやりてぇけど、こればっかりはな』
 兵悟は頭を掻いているようだった。空を見上げ、もどかしそうな様子が目に浮かぶ。
『はー、ヤニ吸いてぇ』
 腹の底からのため息と共に、兵悟がつぶやく。妻が妊娠し、三度のメシより好きだったタバコをすっぱりやめ、今は禁断症状と戦っているのだ。
『マジ、副流煙でいいから吸いてぇわ』
 兵悟のぼやきを、五月はどこか羨ましく聞いた。家族のためにそこまで出来るのだ。
「あのさ、頼まれてたヤツ。見つけたよ。買って、そっちに送っておいたから」
 五月は用件を切り出した。兵悟が驚きの声を上げる。
『あったのか? つうか、苦労したろ? 昔の、アメリカのテレビドラマで見たおもちゃ、だなんてよ』
 それがどうしてもどうしてもほしい、と言ったのは麻美だった。だが日本の外資系おもちゃ店では扱いがなく、探してもらえないかという電話が、アメリカにいる五月に回ってきたのだ。 
「ウウン、ちっとも。店に行ってみたら、こっちじゃフツーに売られてた」
 はいはいこれですね、とあっさり商品を出され、海外発送まで請けおってもらえた。もちろん相応の金は払っているが、拍子抜けするくらい簡単だった。
『ほんと悪かったな。すげえ助かった。あとで金、ちゃんと送る』
「ダメダメ。それ、オレのお祝いだから」
 初めからそのつもりだった五月は、遠慮する兵悟を納得させた。すまながりながらも嬉しそうな様子に、五月は胸を疼かせる。
 生まれてくる子どものことを訊ねながら、窓枠に頭をもたせかけた。いいな、と思わずにはいられない。
 誰かとつきあい、結婚し、子どもが出来る。ごく当たり前のことのはずなのに、五月には遠い。まるで崖の上の出来事のようだ。辿り着くには、険しい岩肌をよじ登らねばならないように思える。
 ずっと、人と関わるのを避けてきたせいだとわかっていた。そういうのを面倒だと思ってきた。
 なのに今頃、後悔している自分がいる。こんな話を聞くたび、叫びだしたい自分に気づかされる――。 
『そういや、如月がそっち行くんだってな』 ふいに訊かれ、五月はどきりとした。動揺を押しかくして、明日の到着だと答える。
『大事にしてやれよ』
 そんなふうに言われ、心の奥底を見透かされたような気がして五月は慌てた。
「別にオレなにもしないし。だいいち、ミサオ、カレシから逃げてくるんだしさ」
『そんなんじゃねえよ』
 兵悟が苦笑した。言葉を選ぶような間を置いて訊ねる。
『そういう下心コミか?』
「違うよ! あいつ、カレシと離れた方がいいと思ったからだ。けどミサオ、弱ってるだろ? だからあっちから成りゆきっていうか……」
 勢いにまかせて口走り、途中でしどろもどろになった。こんなつまらない想像を明かすなんて。
『おい。おまえ、如月を好きなのか?』
「たぶん違う」
『はっはっは』
「でも、誰かを好きになりたい」
 きっと、長距離電話が言わせるのだと、五月は本音を口にした。誰かといたい。
 側にいたい――。
『なれよ』
 兵悟の返事は、この上なく真剣だった。言葉が、じんわりと五月にしみこむ。
『おまえがそう思えるようになったんなら、なれるだろ。まあ、如月はすすめねえけどな。あいつぜってえ、男んとこ戻るぞ』
「それはオレもわかってる」
 みさおと彼氏は腐れ縁だ。幾度別れても、またくっつくと目に見えている。
「さっきのはただのシュミレーションだ」と五月は弁解した。ちょっとドキドキしてみたかっただけというか、本気ではない。
「ヒョウゴさ、いると思うか? オレが好きになれて、オレを好きになってくれるヒト」
 恥ずかしいついでに訊いた。いないのではと、時々不安になる。
『いるだろ?』
 弱気を兵悟があっさりいなした。なぐさめや気遣いより、それが五月の気を楽にさせる。
「つまり、気長に行け?」
『つうより、如月に紹介させろよ』
 目からウロコ、と五月は思った。兵悟も言ってから、名案だと思ったらしい。みさおのいい気晴らしになるとうなずいている。
『あいつお節介焼きだからな。そっちにいる間に友だち呼んで、友だちも次の日とかに来るかもな』
「げ――」
 死ぬほど気を遣うと思い、顔を顰めた。兵悟は大笑いし、みさおに伝えておいてやると言って電話を切る。
 五月は目を剥いて携帯電話を見つめた。もし、みさおが友人連れだったらどうすれば。
 青ざめて呆然とした五月は、やがてにやりとする。自虐的だがそれもアリだ。何かが変わるかもしれない。
 自分から何かをするのは不得手だ。だからせめて、やって来るものは受け入れてみよう。そんなふうに思ったからこそ、自分はここにいる。知り合った旅行者と、お互いの住まいを一時交換して。
 大学に戻るより何より、一番したかったことだ。風の向くままに暮らしてみる。
 ――五月の胸には、まだぽかりと穴が空いている。いつ埋まるか知れない。生い立ちもあるから、きっと時間はかかるだろう。
 それでも、いつかはと思っている。必ず消化してみせる。
 五月は立ち上がり、ゴミを屑籠に捨てた。冷蔵庫から冷えたビールを取り出す。
 窓辺に戻ると、喧嘩はいつの間にか終わっていた。蒸し暑い夜を、賑やかなクラクションがかき回している。

「ナイトコール(後編)」を続けて読むならこちらから

本日も晴天なり?

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    あなたのご遺言、代行いたします/ブラック婆さんの涙/漂流のうた

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  • NDY企画 任侠事件簿
    今日から「姐」と言われても/今日から「夫」と言われても

Cobalt文庫既刊

  • 夜来香恋結店
  • 東京S黄尾探偵団 夏休みだヨ、全員集合!
    (コバルト文庫「書き下ろしアンソロジー① 龍と指輪と探偵団」に収録)
  • 薔薇の純情
    背徳の黒き貴公子
  • 鳥籠の王女と教育係シリーズ(全12冊)
    婚約者からの贈りもの/魔王の花嫁/永遠の恋人/姫将軍の求婚者/さよなら魔法使い/嵐を呼ぶ王子/恵みの環の魔王/魔法使いの選択/〈国守り〉の娘/夢で逢えたら/魔王の遺産/恵みの環の花嫁
  • 今夜きみを奪いに参上!シリーズ(4冊)
    紅(あか)の宝玉/忘れられた楽園/翼のない王/千人王の恋人
  • ダナーク魔法村はしあわせ日和シリーズ
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    少女たちは十字架を背負う/ 青の封印/ Kの処刑場/五月、拉致られる/さらば愛しき女(ひと)よ/羊たちの祭壇/竹林(ちくりん)温泉殺人事件/時計台の首縊り(くびくくり)の鐘/魔都に鳴く龍/ 君にささげる花束/ Sの葬列/俺たちは天使じゃない/ローマの厄日(やくじつ)/宝島へようこそ/シンギング・バード/奥様は魔女!?(マンガ版)/保健室とマシンガンv/ 嵐の歌を聴け/その女、凶暴につき/八月の雨/Uの烙印/もっとも危険なゲーム/バカップルがいっぱい/雨の海に眠れ/S黄尾、解散!?/ 史上最大の作戦(前編・後編)/奥様は魔女!? リターンズ
  • 振り返れば先生(ヤツ)がいるシリーズ(全2冊)
    振り返れば先生がいる/振り返れば先生がいる2ndシーズン
  • 王子様にキスを
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    人は影のみた夢①~④
  • 華(はな)は藤夜叉シリーズ(全2冊)
    華は藤夜叉/PURE GOLD
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  • この雪に願えるならば
  • 雨の音洲(あめのおとしま)秘聞シリーズ(全3冊)
    闇燈籠(やみどうろう)心中 桜の章、吹雪の章/ 朧月鬼夜(おぼろづきよ)抄
  • 月虹(げっこう)のラーナ
  • 羽硝子(ハネガラス)の森
  • 睡蓮の記憶
  • カウス=ルー大陸史・空の牙シリーズ(全17冊)
    誘いの刻(とき)/太陽のエセラ/ 祭りの灯(ひ)/嵐が姫《幽幻(ゆうげん)篇》《風雷篇》/忘我の焔/今日命(きょうめい)の螺旋/かさねの鉢植/女神の輪郭(前編・後編)/影朧(かげろう)の庭/聖女の卵/夢眩(むげん)の鏡/華烙(からく)の群れ/蘭の血脈《天青(てんじょう)篇》《地猩(ちじょう)篇》《紫浄(しじょう)篇》

ビーズログ文庫既刊

  • 少年ユヅルの優雅で怠惰な王国
  • 神抱く凪の姫シリーズ(全3冊)
    キレ神様、お目覚めにございます/耐えてください、キレ神様/誓いの刻です、キレ神様
  • 姫さま、恋愛禁止です!シリーズ(全2冊)
    花婿はお馬の王子/旦那さまと呪いのウサ耳
  • 女神の娘の恋歌(こいうた)シリーズ(全3冊)
    暁は伯爵、黄昏は魔王/光の乙女、闇の聖女/一瞬の光、永遠の輝き

幻狼ファンタジアノベルス既刊

  • 半魂香―まどろみの巫女と〈守護者〉―〈上〉〈下〉